大判例

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大阪地方裁判所 昭和41年(わ)4975号・昭42年(わ)28号・昭42年(わ)91号・昭41年(わ)5350号・昭42年(わ)304号・昭42年(わ)113号・昭41年(わ)4581号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(罪となるべき事実)

第一、被告人木下一士は、いわゆるやくざの団体である神戸五島組系寺沢組の舎弟、被告人坂本真澄は右寺沢組の若頭であり、被告人田中宏治は同組組員であつたもの、被告人藤井雄次郎は右寺沢組の舎弟にして同組系伊津会会長、被告人松田清は同会会員で右藤井のいわゆる実子分、被告人奥征夫は同会会員、被告人甲斐広夫は同会準会員、被告人伊藤正は右松田清の兄弟分、被告人松田宏は右木下の友人であるが、

一、被告人木下が、大阪府茨木市双葉町一番六号所在の被告人松田宏所有および同人経営名義の「昭和土地」の店舗において、被告人坂本、同田中を同店の従業員として不動産仲介業を営むかたわら、いわゆる競輪ののみ行為により収益を挙げていたところ、これを知つた田中正雄こと朴大守(当時三二才)が、昭和四一年八月中ごろからしばしば右店舗を訪れて、被告人木下らに対し、「権利金なしで、顔で土地を探せ。」、「店の部屋を貸せ。」などと難題をもちかけ、さらに、被告人木下らが競輪ののみ行為の客を奪つたと言いがかりをつけて、右のみ行為による収益の一部を執ように要求したので、被告人木下らは、そのころ同市内において同じく競輪ののみ行為をしていた他の者が、右朴から同様の要求を受けて苦しめられていることを聞知していた折でもあり、安易に右朴の要求に応ずることもできず、何とかしてその禍根を絶ちたいものと考えていたが、たまたま同年一〇月三日午後七時ごろに同市永代町五番八号の喫茶店「シヤン」で被告人木下が朴と右の問題につき会合することとなつたのを機会に、被告人木下は、前記寺沢組舎弟頭の高橋こと鎌刈照夫、被告人松田宏らに応援を求め、同日午後六時すぎごろから右鎌刈、被告人松田宏、および被告人藤井、同松田清、同奥征夫、同甲斐広夫、および被告人藤井の客分の田中鉄次郎こと今村敏秋外数名が前記「昭和土地」の店舗などに待機する間に、右「シヤン」において朴と会合したところ、朴から前記要求に応ずるか否かの決断を強く迫られたうえ、「田舎極道」などとののしられたため、被告人木下の右会合の状況の報告により、前記鎌刈、今村および被告人坂本、同田中、同松田宏、同藤井は被告人木下とともに右朴の言動に憤激し、同日午後七時半ごろから同八時すぎごろまでの間前記「昭和土地」の店舗内において、右朴の態度および前記要求に対処すべく謀議した結果、被告人木下、同坂本、同田中、同松田宏、同藤井は右鎌刈、今村らと共謀して朴を殺害しようと決意するに至つた。そこで、右共謀にもとづき、被告人木下、同坂本、同田中は、被告人藤井より木下らと行動を共にするよう指示された被告人奥、同甲斐とともに、右店舗においてさらに朴の殺害につき、共謀して、待機場所等具体的な打合せを行つたうえ、被告人坂本が大工用のみ一丁を、被告人田中および同奥が登山用ナイフ各一丁を、被告人甲斐が工作用切出しナイフ一丁を、それぞれ携え、同日午後八時五〇分ごろ、被告人田中、同奥、同甲斐において茨木市双葉町一番先空地付近から同所の西側にある京阪神急行電鉄軌道の踏切をはさんで前記「シヤン」に至る道路上に分散して朴を待ち伏せし、被告人木下において右同所より南方約九〇メートルの市道上で、犯行後の逃走に備えて自己の乗用車内にエンジンをかけたまま待機する間に、被告人坂本において朴を言葉たくみに前記「シヤン」から連れ出して被告人田中らの右待機場所付近に至つた。この間に、被告人奥はにわかに犯行をためらい、被告人坂本、同田中、同甲斐らに気付かれないのを幸い、その場から立ち去つたが、被告人坂本らは、右空地で朴を攻撃するとのかねての打合せどおり、同所で、まず被告人甲斐が朴の横腹のあたりを前記切出しナイフで突き刺し、さらに、被告人坂本、同田中、同甲斐が共同して、逃げようとする朴を追つて同所付近の十三信用金庫茨木支店前路上およびその南方数十メートルの同町三番九号先空地付近の両所等において、それぞれ前記所携のナイフ、のみ等をもつて、こもごも朴の胸部、背部等を突き刺し、よつて、同時刻ごろ、右同町三番九号先の空地において、右心房室切破にもとづく出血失血により朴を死亡させて殺害し、

二、被告人松田清は、前記一の被告人木下、同坂本、同田中、同松田宏、同藤井および鎌刈、今村の謀議に際し、前記「昭和土地」の店舗内において待機し、右共謀者らの前記朴殺害の意図を知りながら、被告人藤井が、被告人奥、同甲斐をして被告人木下、同坂本、同田中と朴殺害の実行を共にさせるべく指示を与えるにつき、右謀議の席に出入りして右藤井の命を右奥、甲斐に伝えるとともに、右両名に対し、「へたを打つなよ。」などと言つてこれを励まし、また、被告人坂本に対し、「昭和土地」の店のあとのことは自分が手伝つて営業を続ける旨を約するなどして、もつて右共謀者らの前記一の犯行を容易ならしめてこれを幇助し

三、被告人伊藤正は、前記一の被告人木下、同坂本、同田中、同松田宏、同藤井および鎌刈、今村の謀議に際し、暫時右謀議に同席して、右共謀者らの前記朴殺害の意図を知りながら、その殺害方法につき進言し、その後右謀議の間、前記「昭和土地」の店舗内において、自己の輩下の若者らとともに待機し、もつて右共謀者らの前記一の犯行を容易ならしめてこれを幇助し、<中略>

(被告人松田清、同伊藤正をそれぞれ従犯と認定した理由)

判示第一の各事実につき、被告人松田清の関係で当裁判所が取調べた各証拠によれば、被告人松田清、右判示第一の犯行当時前記寺沢組系伊津会の会員であり、同会会長たる被告人藤井雄次郎のいわゆる実子分であつたこと、右犯行日の昭和四一年一〇月三日、被告人木下一士の要請を受けた前記寺沢組舎弟頭鎌刈照夫らの命により、被告人松田清はその地位にもとづき、池田市においてその輩下である被告人奥征夫、同甲斐広夫らを待機させ、右鎌刈および被告人藤井らとともに茨木市の前記「昭和土地」に参集するにつき重要な役割を果たしたこと、および判示第一の二に記載したごとく右「昭和土地」において、被告人木下らの朴大守殺害の謀議に際し、同所に待機して、右木下らの朴殺害の意図を知りながら被告人奥、同甲斐に対し被告人藤井の指示を伝えて右両名を実行行為者として「昭和土地」に残し、かつ、助言を与えるなどの行為をし、その間右共謀者らの謀議の席にいた事実もあること等の諸事実は明らかである。しかし、右謀議において被告人松田清が朴殺害につき発言したと認めるに足りる証拠はなく、右謀議の結果朴殺害の計画がたてられ、被告人松田清において右計画の遂行を了承していたとにいえ、同人が右朴殺害の主謀者であつたと認められないのはもちろん、右共謀を積極的に推進ないしは維持したと認めうる証拠もない。被告人奥、同甲斐を実行行為者に加えるに際して被告人松田が関与していることは前記のとおりであり、本件においては右奥、甲斐を実行行為者に加える指示は朴殺害の実行につき重要であることは否定できないが、松田清は判示のごとく被告人藤井の指示を右両名に伝えたにすぎないのであつてその関与の重要性をさ程評価すべきではない。また、前記池田市における待機に際しての被告人松田清の行為は、同人において朴殺害についての認識はもちろん、被告人木下、同坂本、同田中らと朴との間における紛争の内容についても十分の認識がない間になされたものであることは前記各証拠によつて認めうるところであり、なお、被告人藤井の当公判廷における供述(第二一回公判期日におけるもの)によれば、被告人松田清の右藤井の実子分としての地位が前記伊津会の内部においてそれ程重要な実質を伴つていなかつたことを認めることができ、かつ前記今村敏秋の司法警察員における昭和四一年一一月一〇日付供述調書第二、第三項によれば、伊津会における被告人藤井に次ぐ実力者は右今村であつたことを認めうるのである。以上の事実を綜合すれば、本件朴殺害の前後における被告人松田清の諸行為の全般を考慮に入れても、なお右松田清を前記被告人木下をはじめとする朴殺害の共謀者の一員として認めるに十分でなく、幇助にとどまるとみるのを相当とする。

被告人伊藤正は、判示第一の犯行当時被告人松田清といわゆる兄弟分の関係にあり、右犯行日の正午ごろ、右松田清からもめごとがある旨を聞いて、これに力添えしようと考え、輩下の若者三人を伴つて池田市に赴き、ついで前記鎌刈、被告人藤井、同松田清らとともに前記「昭和土地」に集まつて待機し、相手方朴の身元などを電話で知人に問合せたり、判示第一の三に記載したごとく被告人木下らの朴殺害の謀議の席にしばらく同席し、かつ、殺害方法につき進言などした諸事実は被告人伊藤の関係で当裁判所が取調べた各証拠により明らかに認めることができるが、右伊藤の謀議の席における進言は、二、三日おいて朴の居所付近で待ち伏せしてやればどうかという趣旨の発言のみであつたと認められ、当時、即刻朴を殺害することを強く主張したと認められる被告人木下、同坂本らの採用するところとならず、しかも、前記証人松田清の当公判廷における供述によれば、右伊藤は謀議に同席にしたものの、右発言を機として被告人松田清からの自分等が意見を述べても無駄である旨の忠告を了承して、謀議の席から退出していることが認められる。また、被告人伊藤が朴の身元を問合せた前記行為は、まだ朴殺害の謀議に至らない当時の行為にすぎないと認められ、被告人伊藤が池田市に赴いた時はもちろん、茨木市の「昭和土地」に参集した時点においては、まだ右伊藤において朴殺害の認識がなかつたことは前記被告人松田清におけると同様である。これらの事実を綜合すれば、右伊藤が前記謀議の席で発言をし、かつ輩下の若者とともに待機することにより、前記共謀者らの犯意の推進ないし実行につき力を添えた事実は否定しえないが、朴殺害の共謀の主謀者と認めがたいことはもちろん、前記被告人木下外の共謀者らと同様に自己の犯罪を遂行する意図をもつていて特に重要な役割を果たした事実も存しないから、被告人伊藤について本件共謀者としての責任を問うことはできず、幇助にとどまるとみるのが相当である。(原田修 富永辰夫 松本克己)

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